障害者手帳をゲットするまで!! その①
10か月ほどブログを書くのを放置していました。
3日坊主ということがバレバレ、、、
久しぶりにブログのことを思い出してログインしたのはいいものの、
「え!ここの編集したいのにどうするん?」とあたふたしました。
結局一回見たところをもう一回みたいのにたどりつけませんでした(笑)
パソコン教室にでも通ったほうがいいのでしょうか(飽き性なのでムリです)
だれか心優しい方、私にプロフィールの見方とか、おしゃれな記事の編集の仕方について教えてくださいm(__)m
という前置きは置いといて、なんとこのたび身体障害者手帳を取得することができました。
‐手帳を取得するまでのみちのり‐
2018年移植の合併症で膀胱障害を患う(きっとあとにも先にもない地獄体験)
最初の症状:頻尿&血尿→1分おきにトイレ行きたい
【尿カテつなぐ→血尿が増える→血の塊がつまる→全身麻酔で膀胱を焼く手術→覚醒後、膀胱が痛すぎて泣きわめく(医療麻薬を投与する)】
【】を5回繰り返す3週間単位で繰り返す
1回目の手術では1/3しか焼けなかった膀胱も5回目の手術では出血箇所が1か所のみでした。退院後、免疫抑制剤を止めてからは血尿はおさまりましたが、
たくさん焼いた分だけ膀胱の機能である尿を貯めることが難しくなりました。
実際に膀胱造影で確認するとわずか数十mlで尿の逆流がみられていました。
尿カテをはずし尿を貯める練習や膀胱を広げる薬の内服をしましたが、
まったく効果はみられませんでした。
泌尿器の優しい優しい八丁眉の先生から、
①ストマ
②小腸を取り出して切り開き、膀胱を切ってつなぎ合わせる。外見上は開腹の傷のみだが、随時自己導尿が必要
のどちらにするか決めるように言われました。
「そろそろ腹をくくらなければいけない」と覚悟し、SNSで同じ手術をした人を探したり、論文を読んだりしました。
お盆
今日からお盆です。
そして病棟で一緒だった子の初盆でもあります。
優しい笑顔、治療に向き合う強い心、
周りのみんなをなごます柔らかな雰囲気に
尊敬していたのと、
主治医から色々もらってて、
羨ましいのと、、、(笑)
それぐらい素敵な子でした。
(わたしにもちょっとくらいくれたらいいのに〜)
話しされたのはさておき、
彼女に出会えたことはわたしにとって、
かけがえのない宝物です。
移植後、当時は退院してましたが、
合併症の影響で何度も腎盂腎炎をおこし入院しておりました。
大きな合併症をかかえ、翌年に手術を控えていましたが、なかなかむきあえずにいた私にとって彼女の強さに影響を受けました。
本当にありがとう。
ご家族の方も素敵な方で
お悔やみに行った際も彼女とそっくりの
優しい笑顔で迎えてくださいました。
また会いにいきたいとおもいます。
優しさをつなぐ~k師長さんとの出会い~ 第一話
今日6月17日(水)晴れ
私の体調は〇
だいたい天気が悪い日はやる気が出なくて、
「なんで病気になったんだろう」と考えてしまうほど気持ちがしんどいが、
天気が良い日は、「次の仕事は何にしようか」と考えられるほど
元気である。
恐ろしいほど気圧の変化の影響を受けている。
今日は病気が発覚してから出会った人たちのことを書こうと思う。
第一話目はK師長さん
私が2018年2月26日昼頃に入院し、次の朝に初めて出会った。
病気を告げられて頭が真っ白になり初日は夜中に目が覚め眠れなかったが、
食欲だけは悲しいくらい正常にあった。
「なんでこんなところに閉じ込められるんだ。絶対病気だなんて嘘なはず」と、
怒りながらも黙々とごはんを食べているところにいらっしゃった。
「失礼します~kです~。(カーテンをあける)あらっなんてかわいい子なの」
その瞬間また涙があふれた。
k師長さんは、私をぎゅっと抱きしめて
「ごめんね。私たちと一緒に治療頑張ってくれるかな?」とおっしゃってくださった。
「うん」と言ったのか「いやだ」と言ったのか、まったく記憶にないが、
k師長さんの患者に対する優しさや愛情はぶれることなく、私が移植のために転院するときまで病棟の若いお母さんとしていつも寄り添って見守ってくださっていた。
k師長さんは毎朝病棟の患者全員に声を掛けられに行く。
「来てやってるんだ」という威圧的でも業務的なものでもない。
人として病棟のお母さんとして朝一番に声を掛けてくださる。
私の毎朝の体調や表情を伺いながら、
元気な日には「ももちゃん聞いてくれる~娘がね・・・」
「ももちゃんはいつも看護師に声を掛けてくれてみんな励ましてもらっているのよ。
看護師と教師って人と人がかかわる仕事でしょ。通じるものがあると思うよ。
いつもありがとうね」
「あのアイドルは若い子みんな好きやね~私の娘も見てるし私もたまについてるのみるよ」
私「このチーズめちゃくちゃまずい(笑)」
「食べにくいよね~これ(笑)私の時代はこれ給食でてたのよ~時代感じるよね~(笑)」
私と同室の患者さんには、家族の体調も聞いて
いつもほっこりする話をされていた。
なんか、かわいい(#^.^#)
体調がすぐれない日
私「おばあちゃんになってから病気になりたかったよ。」
「最初の抗がん剤がきつかったから、2回目の抗がん剤がこわい」
「移植自分で選ばないといけないの。どっちが正解だなんてわからないよ」
だいたいICで重い話を毎回されて「移植が必要」「骨髄バンクにも臍帯血バンクにもマッチするドナーがいない」「どの治療法を選ぶのか、どれがいいかは私たちにはわからない」など絶望的だった。
そういう話ではきもちがいっぱいいっぱいになって苦しかったし、
先が見えない不安があった。矛盾をしているが、情報を得ることは怖かった。
そういうときも、
「〇〇ちゃん(看護師)結構包容力あるのよ。しんどいときは支えるからね」
「そうだよね。でもあなたが決めたことが正解なのよ」
「私はあなたの笑顔が大好きよ」
と、言って抱きしめたりしてくれたり、体をさすってくれたりしてくれた。
会話をしている最中に私のことを思って涙を流してくださることもあった。
もちろん、抗がん剤の影響で倦怠感が強く起き上がれないときも話せないときもある。
そんなときも「ももちゃんおはよう。今日もよろしくね」と反応できない私にも必ず
声を掛けてくださる。
ここの病院にいるときには泣いたり、怒ったり、ふてくされたりしている自分の感情を素直に受け止めてくれくれるT先生、師長さん、看護師さんがいたから、
たくさん吐き出せたし安心して治療を受けることができた。
移植のために転院するときも
「あなたにはたくさんの味方がいるから。応援しているからね」と
送り出してくれたし、励ましてくれた。
人間観察が大好きな私はよく人の表情や態度をみてどういう人なのか、
いまこういうふうに思っているだろうという予測をたてることが得意である。
高校生の時から障がい児と一緒に活動するボランティア、短大生からは保育所実習や小学校での学生ボランティアまた小学校で担任を持ち、たくさんの子どもとかかわるうえで一人ひとりに合った関わりを考えることに生かしてきたことなので、
この長所は私自身の武器であると思う。
私が思うには、k師長さんは「患者さんがいてくれるから私たちは仕事ができる」
「患者さん一人ひとりから人生観や思想観を教えていただいている」
そういう考えで看護をされているのだと思う。
愛情にあふれた看護師のプロである。
しんどいときは気持ちが不安定だった私に対して表情が曇ったり、イライラしたり、怒鳴ったり、無視をしたりすることも一度もなかった。
私がお金持ちだったらここの病院に寄付したい。(切実に)
治療は辛かったが、師長さんと出会えたことは私のかけがえのない宝物である。
本当にありがとうございました。
つぎは、同じ病院で担当してくださったk看護師のおはなしです
またね