優しさをつなぐ~k師長さんとの出会い~ 第一話
今日6月17日(水)晴れ
私の体調は〇
だいたい天気が悪い日はやる気が出なくて、
「なんで病気になったんだろう」と考えてしまうほど気持ちがしんどいが、
天気が良い日は、「次の仕事は何にしようか」と考えられるほど
元気である。
恐ろしいほど気圧の変化の影響を受けている。
今日は病気が発覚してから出会った人たちのことを書こうと思う。
第一話目はK師長さん
私が2018年2月26日昼頃に入院し、次の朝に初めて出会った。
病気を告げられて頭が真っ白になり初日は夜中に目が覚め眠れなかったが、
食欲だけは悲しいくらい正常にあった。
「なんでこんなところに閉じ込められるんだ。絶対病気だなんて嘘なはず」と、
怒りながらも黙々とごはんを食べているところにいらっしゃった。
「失礼します~kです~。(カーテンをあける)あらっなんてかわいい子なの」
その瞬間また涙があふれた。
k師長さんは、私をぎゅっと抱きしめて
「ごめんね。私たちと一緒に治療頑張ってくれるかな?」とおっしゃってくださった。
「うん」と言ったのか「いやだ」と言ったのか、まったく記憶にないが、
k師長さんの患者に対する優しさや愛情はぶれることなく、私が移植のために転院するときまで病棟の若いお母さんとしていつも寄り添って見守ってくださっていた。
k師長さんは毎朝病棟の患者全員に声を掛けられに行く。
「来てやってるんだ」という威圧的でも業務的なものでもない。
人として病棟のお母さんとして朝一番に声を掛けてくださる。
私の毎朝の体調や表情を伺いながら、
元気な日には「ももちゃん聞いてくれる~娘がね・・・」
「ももちゃんはいつも看護師に声を掛けてくれてみんな励ましてもらっているのよ。
看護師と教師って人と人がかかわる仕事でしょ。通じるものがあると思うよ。
いつもありがとうね」
「あのアイドルは若い子みんな好きやね~私の娘も見てるし私もたまについてるのみるよ」
私「このチーズめちゃくちゃまずい(笑)」
「食べにくいよね~これ(笑)私の時代はこれ給食でてたのよ~時代感じるよね~(笑)」
私と同室の患者さんには、家族の体調も聞いて
いつもほっこりする話をされていた。
なんか、かわいい(#^.^#)
体調がすぐれない日
私「おばあちゃんになってから病気になりたかったよ。」
「最初の抗がん剤がきつかったから、2回目の抗がん剤がこわい」
「移植自分で選ばないといけないの。どっちが正解だなんてわからないよ」
だいたいICで重い話を毎回されて「移植が必要」「骨髄バンクにも臍帯血バンクにもマッチするドナーがいない」「どの治療法を選ぶのか、どれがいいかは私たちにはわからない」など絶望的だった。
そういう話ではきもちがいっぱいいっぱいになって苦しかったし、
先が見えない不安があった。矛盾をしているが、情報を得ることは怖かった。
そういうときも、
「〇〇ちゃん(看護師)結構包容力あるのよ。しんどいときは支えるからね」
「そうだよね。でもあなたが決めたことが正解なのよ」
「私はあなたの笑顔が大好きよ」
と、言って抱きしめたりしてくれたり、体をさすってくれたりしてくれた。
会話をしている最中に私のことを思って涙を流してくださることもあった。
もちろん、抗がん剤の影響で倦怠感が強く起き上がれないときも話せないときもある。
そんなときも「ももちゃんおはよう。今日もよろしくね」と反応できない私にも必ず
声を掛けてくださる。
ここの病院にいるときには泣いたり、怒ったり、ふてくされたりしている自分の感情を素直に受け止めてくれくれるT先生、師長さん、看護師さんがいたから、
たくさん吐き出せたし安心して治療を受けることができた。
移植のために転院するときも
「あなたにはたくさんの味方がいるから。応援しているからね」と
送り出してくれたし、励ましてくれた。
人間観察が大好きな私はよく人の表情や態度をみてどういう人なのか、
いまこういうふうに思っているだろうという予測をたてることが得意である。
高校生の時から障がい児と一緒に活動するボランティア、短大生からは保育所実習や小学校での学生ボランティアまた小学校で担任を持ち、たくさんの子どもとかかわるうえで一人ひとりに合った関わりを考えることに生かしてきたことなので、
この長所は私自身の武器であると思う。
私が思うには、k師長さんは「患者さんがいてくれるから私たちは仕事ができる」
「患者さん一人ひとりから人生観や思想観を教えていただいている」
そういう考えで看護をされているのだと思う。
愛情にあふれた看護師のプロである。
しんどいときは気持ちが不安定だった私に対して表情が曇ったり、イライラしたり、怒鳴ったり、無視をしたりすることも一度もなかった。
私がお金持ちだったらここの病院に寄付したい。(切実に)
治療は辛かったが、師長さんと出会えたことは私のかけがえのない宝物である。
本当にありがとうございました。
つぎは、同じ病院で担当してくださったk看護師のおはなしです
またね